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yukiyanagi’s blog

ほとけにハッとしてグゥの音も出ず

苦行。

録音された自分の声を聴くのって、いくつになってもほんっと慣れない。
子どもの頃、ラジカセ(!)で録音した自分の声に「ウソだろ」と思った体験は
きっとわたしだけのものではあるまい。機器がラジカセだったかどうかは別にして。

随分と昔フリーライターをしていた頃、
インタビュー後の「文字起こし作業」がとにかく苦痛でしかたがなく。
がしかし、録音したインタビュー内容を聴かないことには記事が書けぬので、
無理やり聴き続けるしかなく。

自分の「ウソだろ声」がヘッドホンから漏れ出るたびに
声にこそ出さねど、こころの中では「あうあうあう」「あーうー」と悶絶しっぱなし。
まるで苦行のごとく感じられたものです。

昔話はさておき、今まさに、苦行の真っ只中にいる。

タイで出家された日本人僧侶プラユキ・ナラテボーさんに
個人面談をしていただいた際、あくまで自分の復習用にと
(プラユキさんにちゃんとおことわりして)
面談の内容をくまなく録音できたところまではよかった。
それはもう、間違いなくよかった。

問題はその後。
録音内容を聴くたびに「あうあうあう」「あーうー」と悶絶しっぱなし。
おのれの「ウソだろ声」を聴くの、いっこうに慣れねぇ・・・。

そういえば、と思い出す。
これも随分前の話ですが、ご高齢の禅友さんから
1本のカセットテープをいただいたことがありました。

テープには、井上義衍(ぎえん)老師の元へ参禅されている
定年後とおぼしきおじさまと
当のご老師との「やりとり」がたっぷりと録音されていました。

テープの中で、おじさまがおっしゃっていたこと。

「こないだ録音させていただいたご老師のお話、
 あたしがバカなことばっかり訊いてるもんですからねぇ、
 自分の(発言箇所)は消してしまったんですよ」

動機は違えど、ほぼほぼおじさまとおんなじ心境ではないかと。
自分の声だけどうにか消せないものか。あうあう、あーうー。

ちなみにおじさま曰くの「バカなことばっかり訊いてる」その内容ですが
むしろご老師にまっすぐ喰らいつかれているところがわたしは好き。
(そしてご老師はどんなに喰らいつかれても懇切丁寧にお応えなさる)

「雑念がどうしても消えない」とおじさまがしつこく訊いてくれたおかげで

「雑念がなくなったらつまらんでしょう」
「使ってもみんうちから雑念を邪魔にするからいかんのです」
「なくすんじゃないんですよ。解脱なんですよ」

という、ご老師の「珠玉の言葉たち」に
こうして自分は出逢わせてもらうことができたんですもん。

・・・そういう意味では、
おのれの「あうあう、あーうー」な「ウソだろ声」があるからこそ、
プラユキさんの「珠玉の言葉たち」にやはりこうして出逢えているのだとも言える。

ブッダさんは「(身体をいじめる)苦行はいらんよ」とおっしゃっているようですが、
この「ウソだろ苦行」はしばらく続けていくしかなさそうです。