禅への回帰。
なんと1年近くぶりの更新となります。
自分でもびっくりするほどの「放置プレイ」です。
仏道実践をすすめていく中で、書きたいこと、書けることが
まるで泡ぶくのようにどんどん消えていってしまいます。
書こうと思っても、それはもう終わっていることゆえ、
なんだかとても「遠く」に感じてしまうのです。
が、それだといつまで経っても更新できない。
(実践)状況が1年前とは随分と変化してきておりますので
そのあたりを自分用の記録がてら簡単に。
昨年9月に「禅への回帰」が起こり、
現在お二方のご老師に指導していただいております。
もともと仏教と出逢ったきっかけが「禅」。
当時は、さるご老師の元へ通わせていただいておりました。
仏教&禅ビギナーのわたしをご老師はあたかかくも厳しく迎えてくださいました。
が、数年後ご老師がお倒れになり、通うことが叶わなくなってしまった。
「これからどうしたものか」と迷うこと数年。
禅会や摂心へ伺うこともできず、というか伺う気も起こらず・・・
そんなとき、
宮下先生とプラユキさんとのご縁をいただきました。
おふたりは、わたしが仏教と再会する機会を設けてくださった。
宮下先生から教えていただいた「身体とコミュニケーションすることの大切さ」、
プラユキさんからご指導いただいた「チャルーンサティ」は今でも宝物です。
そしてTwitter でご縁をいただいている方々。
みなさんのtweet に(自発的に)背中を押され、
現在お世話になっているご老師の禅会へ伺うことができました。
自分では「もう戻ることはないかもしれない」と半ば諦めていた
「禅への回帰」。よもや1年後に自分がこうなっているとは、
1年前には思ってもみませんでした。
今はとにかく、坐っています。
時間があってもなくても、坐る。
一方で。
「実践は坐っているときだけとは限らない」
このことを身をもって実感してもいます。
自分で「実践は坐っているときだけとは限らない」と
目標を立てたり言い聞かせたりするまでもなく、
坐れば坐るほど、
坐っていないときも「おのずと」そのようになる。
1年前の自分がそうであったように・・・
これからどこへ向かおうとしているのか、まったくわかりません。
わかりませんが、実践を続けていった先に何があるのか、見てみたい。
そのような思いで、やっぱり今日も坐っています。
・・・あ、今は坐っておりません。書いています。
(わざわざ言わんでもよかたい)