yukiyanagi’s blog

ほとけにハッとしてグゥの音も出ず

受け入れる。

明日の仕事のことが頭をよぎり、ちょっと内側がザワザワする。
そんなとき、自分にできることは

ザワザワから離れようとするのでもなく
ザワザワをなくそうとするのでもなく

ザワザワを紛らわせようとするのでもなく
ザワザワに乗っ取られるのでもなく

「ザワザワを受け入れよう」と頭で考えるのでもなく
「ザワザワを受け入れるのよ」と自分に言い聞かせるのでもない。

そもそも「受け入れる」って、どういうことなのだろう?
長年ずうっとそう思い続けてきた。

「受け入れる」ということがどういうことなのかよくわかりもしないのに
「受け入れよう、受け入れよう」としてきていた。

自分で「受け入れている」と思うこと自体、実はずいぶんな「後付け作業」で、
すでにもう「受け入れている」し「受け入れられている」のだなぁ・・・

・・・と、理解できていても、できていなくても
すでにもう「受け入れている」し「受け入れられている」のだなぁ・・・

・・・と、自分で納得したフリをするのでもない。

内側のザワザワがあってはまずい。はじまらない。
そんな思いから、あれこれと対策を練り、実行し、そして失敗してきた。

そりゃもう散々に。

ということは・・・
「内側のザワザワがあってはまずい」という考え自体が、
間違っているのではないか。

内側のザワザワ」は、こうして現に、ある。存在しているように感じられる。
すなわち「内側のザワザワ」は、ある意味「すでに受け入れられている」。
だからこそ、
こうして自在に感じ取ることができているのではないか。

すでに受け入れられているものをなんとかしようとするから
ややこしいことになるのだなぁ。