湧き上がるものへの「信頼」
タイで出家された日本人僧侶プラユキ・ナラテボーさんに
初めてお目にかかることのできた先日。
このときいただいた神資料、じゃなくて「紙資料」を
パラパラと見返していたら・・・
ある箇所で、脳天をガツンとやられました。
「信(信頼力)」
(1)自己信頼
(2)湧き上がる感覚・感情・思考などへの信頼
湧き上がる感覚・感情・思考などが
たとえどのような類のものであっても・・・
ひどくネガティブなものであっても、
悲惨なものであっても、
それらがたった今ここに湧き上がってきていることを「信頼する」。
「信頼する」=「信じて、頼りにすること」。
【こちらは紙資料ではなくプラユキさん最新のご著書。2巡目突入です】
頭ではわかったつもりでいても
習慣とはしつこいもので、
湧き上がってくる感覚・感情・思考などに対し、
賛同したり否定したりする自分がいて
いつの間にか大きな顔をしていることがある。
そういった意味において、
わたしは自分に湧き上がる感覚・感情・思考などを
まったく信頼できていない。
ほんとうに、まったく・・・。
頼りにするどころか、
「こんなものが湧き上がってくるはずがない」
と、はじめから疑いにかかっている。
そのことすらも、
「信じて、頼りにする」・・・なのだろうなぁ。
「脳天ガツン」が妙に心地いいのは、
このことがきっと真実だからなのでしょう。
まさに「神資料」です。
・・・・仏教なんですが。